アホな僕でも楽しく人生過ごせます?

アホな地方大生が楽しく人生過ごすために役立つ(かもしれない)ことを書いてきます。

自分なりの「一日一生」

 みなさんは、一日一生という四字熟語を知っていますか?

 自分は松井秀喜の好きな言葉であるという情報から、この言葉を知ったのですが、最近かなりお気に入りの言葉です。

 まぁ、字面だけでなんとなくの意味は分かるかなとも思います。

 一応、『一日一生 意味』で、ググってみると、

『一日は一生の短縮版であり、一生は一日の積み重ねでしかないのだから、一日を大切に生きることが一生を大切に生きることにつながる』

という意味らしいです。

 最初は、たしかに…!その通りですね…!と、なんだか、当然のことをあらためて突き付けられた感じで、とくに印象に残りませんでした。

 それどころか、そんな美辞麗句いままで何度も聞いてきましたよ!と、内心腹が立つくらいのもんでした。

 しかし、この言葉がかすかに頭の片隅にある状態で毎日を過ごしていると、一日一生って、たしかにその通りだ!と何度も思うのです。

 と・く・に、サラッと書かれている、『一日は一生の短縮版であり』という言葉が、自分にとって、一日一生という四字熟語の根幹であり、すべてといっても過言ではないと思うのです。

一日一生がすごい理由3つ

一つ目、意識の問題。

一生って、すっごくシンプルにいうと、

誕生→()→死

の、中間の()のことですよね。

そして、1日は、

起床→()→就寝

の、中間の()です。

これって、かなり似てますよね。

というか、ほぼ一緒なんです。つまり、

(意識のない状態)→(意識のある状態)→(意識のない状態)

この、意識が存在している地点が、一生であり、一日なのです。

長さの違いこそあれど、存在原理はほぼ同じですよね。

次に、二つ目は、思考の問題です。

一生って、私たちをすごく悩ませますよね。

どのように過ごせば幸せになれるのか。多少危険を冒しても刺激のある一生?それとも穏やかな日常を大切にする一生?いろいろ考えがでてきます。

考えすぎると、どうせ死ぬから、なんの意味もないか…なんて、落ち込んだり。

でも、一日って、そこまで悩まないですよね。

よく考えてみてください。

一日と一生の存在原理は一緒なんです。

そして、改めて考えてみると、一生に関する悩みは一日にも当てはまります。

どのように過ごせば幸せになれるのか。多少危険を冒しても刺激のある一日?それとも穏やかな日常を大切にする一日?いろいろ考えがでてきます。

ほらほら!!一緒!でも、


考えすぎると、どうせ明日になれば、なんの意味もないか…なんて、落ち込んだり。←こんなことはないですよね。

今日が、すっごく幸せな一日だったとして、でも、明日になれば関係ないよな…なんて思わないですよね。

でも、一日も一生もおなじもの。ようは、規模が違うだけ。

なのに、一生は、なぜか実物以上に過大評価されがちで、意味がなければいけない、目標を達成しなければいけないと考えがち。

当然、規模は違うから、より真剣に考える必要はあるけど、心持ちとしては、一日の予定を考えるように軽やかな気持ちでいいと思います。

最後に、三つめ、可能性の問題。

一生なんて、長い時間だともしかしたら、いつかどこかのタイミングで人生の転機のようなものが訪れるんじゃないか!と無意識に考えたりしませんか。

自分は時々考えたりします。

でも、今日、人生の転機来るかなと考えてみるとそんなことは絶対にないだろうと思います。

今日に転機をつくるなら、無理やり遠出してみたり、急に両親に感謝の電話をしてみたり、街で知らない人大勢に声をかけてみたりしない限り可能性ほぼ0ですよね。

でも、一生という時間だと長い人生どっかで転機あるだろ、とか思っちゃう。

一日に置き換えてみると、そんなこと簡単にあるわけないよなと思える。

まとめ

勢いで書いてみたんですが、なんだか頭が整理された気がします。

とりあえず、自分にとっての一日一生の意味は、

『一日と一生は長さ以外は同じもの。言葉の重みに惑わされず、一生を一日のように、過度な期待をかけることなく、軽やかに過ごそう』

です。

 

追記

逆に1日を一生のように大切に過ごすってのもありなのでは!?と最近思います。